ヘッダー写真

室蘭本線 1974年8月2日撮影分 苫小牧周辺

蒸気機関車イメージ画像

初めての北海道、夏休みを利用して大阪から特急白鳥に乗って出かけた。夏休みでもあり指定が取れなくて苦労したことを今でも覚えている。1974年8月2日から撮影を開始しており、北海道周遊券で移動した。苫小牧から撮影をスタートして、次から次へとやってくる蒸気機関車に興奮を覚えた


続室蘭本線 1974年8月2日撮影分 苫小牧周辺

蒸気機関車イメージ画像

初日は雨で始まり、大阪->青森 青函連絡船->函館->苫小牧と長距離移動に疲れ、駅の周辺で撮るだけにとどまった。関西本線で見たD51とは違って集煙装置のないすっきりした姿、参宮線でしか見られなかったC57が次々に現れてうれしかった


室蘭本線 1974年8月3-4日撮影分 栗丘周辺

蒸気機関車イメージ画像

翌日からは天気も回復し、夏8月と言っても大阪とは違うすがすがしい空気の中を撮りまわった。3日の写真が少ない理由は思い出せないが、栗丘方面に移動して広い景色の中を走るSLを追った


続室蘭本線 1974年8月4日撮影分 栗丘周辺

蒸気機関車イメージ画像

栗丘では定番のお立ち台に行き、広大な景色の中次々とやってくるSLを撮影した。この時代は列車を追っかけるのではなく、ほぼ一か所で小移動を繰り返しながら撮影していた


室蘭本線 1975年3月17日撮影分 沼ノ端

蒸気機関車イメージ画像

年が変わり1975年、すでに本州、九州からSLは姿を消し、残るところは北海道のみになった。まだ撮っていない雪の中を走るSL、迫るSL全廃の時期。まとめて休みが取れるのが高校1年生の試験休みを含めた春休み。この時期に行かないと二度とSLを見ることができないと言うことで、SLダイヤ情報と時刻表を穴の開くほど熟読し「北海道周遊券」の有効期限一杯で金をかけずに大阪に戻ってくる計画を立てた。大阪を3月15日急行きたぐにで出発し青函連絡船、急行すずらんを乗り継いで、17日沼ノ端に着いた


続室蘭本線 1975年3月17日撮影分 沼ノ端

蒸気機関車イメージ画像

この当時SLが走る線区はローカルの単線であったが、ここは複線。SL同士のすれ違いを何度か目にすることがあった。白銀の世界を走るSLを撮りたかったが、3月中旬線路わきに雪が残るだけであった


室蘭本線 1975年3月18日撮影分 登別

蒸気機関車イメージ画像

18日は登別に移動。泊まるところが登別温泉YHだったかと思う。温泉で疲れを癒したかどうかは定かではないが、長い撮影行程のまだはじまり、気合を入れて撮りまくる。ここは日本一長い直線区間があり、果てしなく長い直線をSLが走り抜けていく、他ではあまり見ることのできない風景を楽しめた


続室蘭本線 1975年3月18日撮影分 社台

蒸気機関車イメージ画像

社台に移動し長い長い直線区間を走るSLを撮ることにする。駅にはすでに重連の貨物が止まっており、豪快に発車していく姿を撮影することができた。果てしない線路を見ていると地球の大きさを感じられる


室蘭本線 1975年3月19日撮影分 栗丘

蒸気機関車イメージ画像

19日は宿泊地の札幌から急行カムイに乗って岩見沢に行き、岩見沢からSL列車で栗丘に来た。夏にも訪問した栗丘に再度チャレンジ、小高い丘に登ると中俯瞰のアングルが現れる。望み通りの雪景色を初めて目にする。背後には凍り付いた夕張川があり素晴らしい景色だった。この日は一日栗丘周辺で撮影を楽しみ札幌に帰っている


続室蘭本線 1975年3月19日撮影分 岩見沢

蒸気機関車イメージ画像

栗丘撮影後、札幌に帰る途中岩見沢に立ち寄りD51 C57 9600を撮影。蒸気機関車が全国から無くなりつつある中で、これだけの現役の生きている機関車を見ることができて幸せだった


室蘭本線 1975年3月20日撮影分 追分

蒸気機関車イメージ画像

20日は岩見沢からSL列車に乗り追分駅に行き、主に機関区の撮影を実施する。まさかこの機関区が翌年焼失するとは思っていなかったので、今更ながらもっとしっかり撮れば良かったと悔やまれる。この後夕張線を撮影し、札幌に戻ったのち急行利尻で稚内に移動